ホーム » 荒井分支部長ブログ » 2017/11/27今週の名言

SWITCHインタビュー 達人達  「野村忠宏×寺島しのぶ」より

ナレーション:(シドニーオリンピックで二連覇し)天才の名を欲しいままにした野村。しかし、この時ある想いを胸に秘めていた。大会から一年後、野村は全てを捨ててアメリカに渡った。

野村:金メダル取って、二連覇して、あーもう十分戦った。満足感もあったし。カッコ良く引退したかったんですよ。選手寿命がある以上、いつか引退が来る。だからこそ引退っていうのは本当にキレイに格好良く、そして皆に惜しまれつつやめたいっていうのは常に思っていたんですよ。努力したからといって4年後のオリンピック、アテネの舞台に立てるかどうか分からない。そこにまた全てを賭けてやるのが怖い。だからある種逃げの選択として、そこからアメリカに行ったんです。逃げるために。

寺島:あー。何してたんですか?アメリカで。

野村:一応、語学学校には行ってました。

寺島:それで一年ですか?

野村:結局、約10ヶ月経ったんですけども、二か月、三か月そうやって楽しい毎日してたら、だんだんやっぱりね、虚しくなってくるんですよ。俺何してんねやろっていうね、虚しい瞬間が出て来たんですよ。で、その時にやっぱり柔道を本当に離れて気付いたことは、柔道って苦しいし厳しいし、時には孤独ってのも感じていたけど、その中に自分の生きる道っていうのがあるんだなって、そこと向き合ってる自分が一番輝いているし、一番カッコええやんって。

寺島:んー、じゃあ、そこからもうギアチェンジって。

野村:そうですね。そこからギアチェンジというか、もう一回チャレンジする厳しさ、本当にもう一度、勝負師としてのスイッチを入れたつもりだったけど、なかなか上手くいかなかったですね。自分でも勝ち方がわからない。試合の仕方がわからない。頭に円形脱毛症ができて。だから、そこと向き合った時っていうのは自分の柔道人生の中でも一番自分自身が惨めだったし、初めて柔道が嫌いって思った時期でもありましたね。

寺島:それって正直、ちょっとやっぱりやめますみたいなふうな自分とかって想像したんですか?

野村:アテネへのチャレンジを決めたのに、自分の可能性を自分で投げ出すっていうのは許せなかったし、あと一年何かを変えれば、もう一度自分はチャンピオンになれる。

寺島:その変えなきゃいけないものって何だったんですか?

野村:最終的には自分の心でしたね。俺はチャンピオンだ。俺は二連覇した野村だ。格好良く勝たなきゃいけない。一本勝ちしなきゃいけない。やっぱそのプライドっていうのが、結局自分の心を小さくして、でその心が小さくなった自分がいるから柔道自体も小さくなって。自分の心を小さくしていた原因であるその自分のプライドっていうのを一旦捨てなきゃいけない。胸を張って、前に出て、自分の力を出し切ることから始めよう。そういうふうに心を変えて、取り組みを変えていきましたね。

ナレーション:もう一度、結果を恐れずに攻め抜く柔道を。三度目のオリンピックとなったアテネで野村は蘇る。前人未到。オリンピック柔道三連覇を成し遂げた。

 

#今週の狛江少年組手クラス(荒井指導)はミット打込みを行い、サポーターは使用しません。

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