平成史スクープドキュメント 大リーガーNOMO より
ナレーション:日本人にとって、野茂の大リーグでの活躍は、バブル崩壊で自信を失っていた時代の一筋の光明だった。
それはアメリカ人にとっても同じだった。
野茂が崩壊しかけていた大リーグを救ったからだ。
野茂が渡米したのは、その長い歴史の中でも、大リーグが最も危機に瀕していた時だった。
前の年、 年俸の高騰を抑えようとした球団側と選手側が激しく対立。
ストライキに発展し、ワールドシリーズも中止になった。
拝金主義が横行する大リーグをファンの多くが見放そうとしていた。
そんな時、一人の若者が、およそ1000万円という最低保障年俸で勝負を挑んできた。
野茂はアメリカ人に フロンティアスピリットとは何かを思い出させた。
大リーグのマウンドで野茂はアメリカを驚かせ続ける。
当時、 大リーグ最強と言われた、ロッキーズ打線を相手に快投を演じたのだ。
ノーヒットで迎えた9回ツーアウト。
高地にあるため打球が通常より9%も伸びる打者優位の球場。
球場完成以来、初めてのノーヒットノーランだった。
選手会の代表としてストライキを主導したドナルド・フェア。
大リーグの危機を救ったのは野茂だったと語る。
ドナルド・フェア:ストライキのあと野球ファンは飢えていました。
球団と選手の間で起きた、金をめぐる問題を気にすることなく、野球を楽しみたいと思っていたのです。
そうしたなか、野茂さんは世界最高レベルの舞台で通用するのかを確かめるために、メジャーリーグに挑みました。
ファン離れが心配された95年シーズン、ストライキの傷が癒えた理由の一つは、間違いなく野茂さんの活躍のお陰です。