◆ 荒井分支部長ブログ
生き様というのは僕にはよくわからないですけど、生き方と考えれば、さきほどもお話しましたけれども、人より頑張ることなんてとてもできないんですよね。
あくまで測りは自分の中にある。それで自分なりにその測りを使いながら、自分の限界を見ながらちょっと超えていくということを繰り返していく。
そうすると、いつの間にかこんな自分になっているんだという状態になって。
だから少しずつの積み重ねが、それでしか自分を超えていけないと思うんですよね。
一気に高みに行こうとすると、今の自分の状態とギャップがありすぎて、それは続けられないと僕は考えているので。
地道に進むしかない。進むというか、進むだけではないですね。
後退もしながら、あるときは後退しかしない時期もあると思うので。
でも、自分がやると決めたことを信じてやっていく。
でも、それが正解とは限らないわけですよね。
間違ったことを続けてしまっていることもあるんですけど。
でも、そうやって遠回りをすることでしか本当の自分に出会えないというか、そんな気がしているので。
そうやって自分なりに重ねてきたことを、今日のゲーム後のファンの方の気持ちですよね。
ひょっとしたらそんなところを見ていただいていたのかなと。
それはうれしかったです。
そうであればうれしいし、そうじゃなくてもうれしいです。
あれは。
イチロー引退会見より
(選手生活を)最低50歳までって本当に思っていたし、それは叶わずで、有言不実行な男になってしまったわけですし。
その表現をしてこなかったらここまでできなかったかもなという思いもあります。
だから、言葉にすること、難しいかもしれないけど言葉にして表現するというのは、目標に近づく一つの方法ではないかなと思います。
イチロー引退会見より
1994年、3年目ですね。
仰木監督と出会って、レギュラーで初めて使っていただいたわけですけども。
この年までですね、楽しかったのは。
あとはその頃から急激に番付を上げられちゃって、それはしんどかったです。
やっぱり力以上の評価をされるというのはとても苦しいですよね。
だから、そこからは純粋に楽しいなんていうのは、やりがいがあって達成感を味わうこと、満足感を味わうことはたくさんありました。
じゃあ、楽しいかというとそれとは違うんですよね。
でもそういう時間を過ごしてきて、将来はまた楽しい野球をやりたいなと。
これは皮肉なもので、プロ野球選手になりたいという夢が叶った後は、そうじゃない野球をまた夢見ている自分がある時から存在したんですね。
でもこれは、中途半端にプロ野球生活を過ごした人間には待っていないもの。
たとえば草野球ですよね。
やっぱりプロ野球でそれなりに苦しんだ人間でないと、草野球を楽しめないのではないかと思うので
。これからは、そんな野球をやってみたいなという思いですね。
イチロー引退会見より
ある時までは
自分のためにプレーすることが
チームのためになるし
見てくれる人も
喜んでくれるかなと思っていたんですけど
ニューヨークに行った後ぐらいからですかね。
人に喜んでもらえることが
一番の喜びに変わってきた。
その点で、ファンの方の存在なしには
自分のエネルギーは
まったく生まれないと思います。
イチロー引退会見より
記者:子供達にメッセージをお願いします。
イチロー: 野球だけでなくてもいいんですよね、始めるものは。
自分が熱中できるもの、夢中になれるものを見つければ
それに向かってエネルギーを注げるので
そういうものを早く見つけてほしいと思います。
それが見つかれば
自分の前に立ちはだかる壁にも
壁に向かっていくことができると思うんです。
それが見つけられないと
壁が出てくるとあきらめてしまうということがあると思うので。
いろんなことにトライして。
自分に向くか向かないかよりも
自分の好きなものを見つけてほしいなと思います。
イチロー引退会見より
今日の球場の出来事、あんなもの(引退試合後の大歓声や拍手)見せられたら
後悔などあろうはずがありません。
もちろん、もっとできたことはあると思いますけど
結果を残すために自分なりに重ねてきたこと
他人より頑張ったということはとても言えないですけど
自分なりに頑張ってきたとははっきりと言えるので。
これを重ねてきて、重ねることでしか
後悔を生まないということはできないのではないかなと思います。
イチロー引退会見より
NHK「メジャーリーガー 大谷翔平」より
ナレーション:大谷選手は自分の才能を信じろというイチロー選手の言葉を考え続けていました。
大谷: 自分の才能ってなんなんだろうなと思った時に
何も最初から野球がうまかったわけでもないですし
僕より野球のうまい選手をたくさん見てきたので
ただそこで自分で駄目だよなと思うこともなくて
(努力して)勝っていけばいいんだなと思う。
そこがいいとこだと思ってるので
うまくなるためにどうすればいいのかなって。
NHK「約束」 本田圭佑×松浦紀典(ホペイロ 用具係) より
ナレーション:二人の約束は15年前に遡る。 当時、名古屋グランパスでホペイロをしていた松浦さん。 そこに練習生としてやってきたのが高校生の本田選手だった。 二人はすぐに打ち解け、寮の食堂で夜遅くまで話し込むようになった。 そんな時、本田選手が突然、松浦さんに言った。
松浦:(本田選手が)「将来、自分はワールドカップに出て、点を取るんで、 足元(靴の修繕)のサポートお願いします。」っていう。 正直プロになってない。 一高校生にその話をされて、普通だったら聞き流すはずなんですけど 、本当に本田選手の目が純粋に力強く、自分に訴えて来たんで、それに応えてあげようっていう、この高校生の約束を一緒に果たそうっていう、自分も日本代表のホペイロとして一緒にできたらいいねっていう約束は交わしましたけどね。
ナレーション:足元のサポートを託された松浦さんは本田選手が海外に移籍した後も、シューズのメンテナンス続けた。 そして、約束から7年後、本田選手は日本代表としてワールドカップに出場。約束を果たした。
松浦:いやぁ、思い出しますね。高校2年生の一人の選手が、サッカープレイヤーが「ワールドカップに出て点取ります。だから足元のサポートしてください。」って言ってくれて、数年後にホントにワールドカップで点取ったんで。
ナレーション: 松浦さんも、日本代表のホペイロになるべく腕を磨いた。 だが2年前突然、解雇を言い渡され、その道は立たれてしまう。 周囲から慰めの声をかけられる中、約束を交わした本田選手だけは、違った。
松浦:「 長い間、グランパスお疲れ様でした。」「で、次のプランは?」って来たんですよ。 それには驚きまして、唯一本田選手だけですね。「 次のプランは?」って。えー!ってなりました。
ナレーション:松浦さんは奮起した。自分はまだ、約束を果たしていない。 腕が鈍らないよう倉庫を借り、繋がりのあった選手のシューズを管理し、仕事を継続した。 それから1年、京都サンガから声がかかり jリーグのホペイロに復帰した。