ホーム » 荒井分支部長ブログ » 2019/1/21今週の名言

 

ナレーション:ジェシカの生い立ちは波乱に満ちたものだった。 生まれた時から両足が無かったジェシカを、生みの親は手放し、施設に入れた。 孤児となったジェシカは、養父母に引き取られて育った。 義足を使って歩けるようになり、活発な子供時代を過ごした。

母:ジェシカは赤ちゃんの頃から元気が良くて、運動神経もいい子でした。 ほかの子供が階段を登っているのを見ると、自分も負けないようにすぐ登ろうとしました。

父:たとえ転んでも助けを求めません。ほかの子供と同じようにやりたかったのです。

 ナレーション:ジェシカは様々なスポーツにも挑戦した。 だが健常者の子供と同じ動きができず、落ち込む日々だった。 ジェシカは自伝にも当時の暗澹たる気持ちを綴っている。

ジェシカ:「幼い頃は周りの子と自分がどう違うのか、よく考えていた。 他の子が私よりも簡単に運動しているのを見ると、羨ましかった。」(自伝 UNSINKABLE より)

ナレーション:努力しても健常者には追いつけないという現実。 それを変えたのが水との出会いだった。プールに入った 瞬間、両足の障がいから解き放たれた。ジェシカにとって水の中は特別な場所となった。

ジェシカ:10歳の私は。義足を外して飛び込んだ瞬間、すぐに水の中が好きになりました。 ほかとはまるで違う場所だったんです。 水の中は私が自由でいられる場所です。 ほかのみんなと同じいられたんです。水中にいるときは、自分に障がいがあるとは全く感じません。 私の大好きな場所なんです。

ナレーション: 水泳なら健常者に勝てる。ジェシカは腕の掻き方や体の使い方を様々に変えながら、他の子供達よりも長く練習をした 。誰よりも速く泳ぐことを目指した。

アンドリュー・バランコ(当時のコーチ):ジェシカが泳げないと、弱音を吐くたびに、私はいつも励ましていました。 彼女はどんなに厳しい練習も乗り越えました。足が無いので、バランスが崩れないように、体幹を徹底的に鍛えたんです。 一歩一歩、力をつけ自信をつけていきました。

ナレーション: 急成長を遂げたジェシカは当時12歳 。アメリカ代表最年少でパラリンピック出場を果たした。初出場ながら、並みいる 世界の強豪を抑える泳ぎ。 そして自由形二種目とリレーで三つの金メダルを獲得。 義足の少女は、水泳との出会いによって、心が沈みがちだった人生を、自ら変えた。

ジェシカ: アテネでメダルを取って、初めて自信がつきました。まさに水泳が、私に自信を与えてくれたんです。 水の中にいるときは自分が強いと感じることができます。たまに泳がない日があると、今日の私はどうしてしまったの?って思ってしまいます。 水泳をしていない私なんて考えられないです。

NHK 超人たちのパラリンピック “沈まない”女王 競泳 ジェシカ・ロング